当前位置: 东星资源网 > 文档大全 > 礼仪 > 正文

中日礼仪的比较

时间:2017-04-16 来源:东星资源网 本文已影响 手机版

篇一:中日饮酒礼仪比较

はじめに

一、酒の起源および日本への伝播

1.1中国お酒の起源

1.2日本お酒の起源

1.3中国お酒と醸造技術が日本への伝播

二、中日酒文化の相違点

2.1酒の種類について

2.2酒の国民性について

2.3適量と過量について

2.4酒の飲み方とマナーについて

三、中日の宴席における「乾杯」文化

3.1中日「乾杯」について

3.2中日「乾杯」文化の相違点についての考察

おわりに

注釈

参考文献

要旨

「古事記」の記載によると、日本古代の生産技術の多くが、渡来人たちによって朝鮮半島からもたらされ、また渡来人たちによって国内に普及された。これらの渡来文化のなかに、酒造技術もあったことが記録されている。

日本は,中国の近くに位置している。上の歴史に書かれたように両国は古代から交流してきた。日本は中国から技術を習うのと同時に、中国の文化もならってきた。それが故、各方面で,類似的な文化を持っている。しかし共通点がある反面,両国の間には大きな相違点も見

中日礼仪的比较

受けられる。それぞれの社会環境や歴史的境遇によって、日本人は和の精神が強い。自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、相手の気持ちや立場を考慮しようとし、集団の中で「和」を重んじ、他人との摩擦を避けよとする傾向が強い。そして、酒を飲む時、一般に静かで、他人の邪魔をしないとか、中国人は、敬意の表明として杯の酒を飲み干すが、日本人は含蓄に親しみの気持ちで飲み方などで、各酒文化から反映した国民性とか読み方とかマナーには、微妙な差異がある。また、宴席でお酒を乾杯する時、日本人はもっと含蓄であるが、中国のほうは、ずっと直接であるように、中日の宴席における「乾杯」文化にもそれぞれの相違点が存在している。 本文を書く目的は、中日酒の起源、中日酒文化の相違点、宴席における「乾杯」文化の相違点などで比較分析しながら、もっと両国の酒文化について了解するとともに、以後の中日文化交流を促進するためだ。

本文は以上の目的で次の順番で展開するつもりである。第一章は酒の起源および日本へ

の伝播、第二章は中日酒文化の相違点、第三章は中日の宴席における「乾杯」文化、第四章は終わりとして述べていこうと思う。

キーワ-ド:中日酒の起源 中日酒文化の相違点 宴席における「乾杯」文化

はじめに

5000年以上歴史を持っている中国と隣国の島国である日本は以前から交流してきたの故、各方面で類似的な文化を持っている。例えば、中日は一つ漢字文化圏である。つまり、日本文字中での漢字は中国の漢字を改造して自民族の文字として、今まで使っている。中国の儒家思想は日本に与える影響が多い。つまり、儒家思想の中では礼、仁、義、孝などと並ぶ、中日は全部礼を重んずる民族である。しかし、両国は共通点がある反面、大きな相違点もある。長年来、日本をよく理解するために、いろいろな面から研究した文章が発表されている。例えば、彭広陸氏の『日本料理名の比較』、潘釣氏の『日本人の漢字観の変化』、などの文章がある。言うまでもなく、中日の酒文化について研究した文章も多くある。中日は以前から交流してき、その中でも酒の醸造技術も日本へ伝播した歴史資料も多くあるけれども、両国のお酒についての文化には多くの相違点がある。例えば、中国人はよく相手に多く飲んでもらいたいと思うことがあり、お客が多く飲めば、主人は喜び、自らを重く見ていることを示す。仮にお客が酒を飲まなければ、主人は顔をつぶされたと感じる。日本人は、よく相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて、発言したり、行動したりする傾向が強い。日本人は「乾杯」とは言うが、杯の酒を飲み干すではなくて、お好きなだけ飲むことだ。

本稿では、もう研究した中日の酒文化についての研究内容を参考する基礎の上で、中日のお酒起源の繋がりを述べ、中日を酒文化を比較しながら、その中でも両国酒の種類、国民性、酒の飲むマナーなどの違うによって、宴席における中日の違う乾杯文化を分析するつもりである。

一、酒の起源および日本への伝播

1.1 中国お酒の起源

中国における酒の歴史はかなり古い。酒の起源は、「戦国策」によると、紀元前2200年(約四千年前の夏の時代)禹王の時代に儀狄(中国の酒の神と崇められる人)が穀類の酒を造り、王に献上したのが始まりとされている。しかし、禹王はこの酒のうまさと酔い心地に驚き、後世のものは必ずこの美味のために家庭もしくは国家を滅ぼすに違いないと案じ、酒をこの世間から覆い隠し、直ちに儀狄を追放してしまった。もう一説によると、周の時代(紀元前1000年)に杜康という人が、今日我々が飲んでいるような酒を造ったとされている。さらに神農(三皇の一人で医学、農業などの神様)の時代、もうすでに酒が作られていたという伝説さえもある。しかし、世間では「杜康造酒」

という説が最も有力で広く伝えられている。また、「杜康」は酒の代名詞として今日も使われてあり、日本では酒造りの職人を「杜康」と呼んでいる。

1.2 日本お酒の起源

揚子江起源説によると、日本列島に住む人々がいつ頃から米を原料とした酒を造るようになったのかは定かではないが、稲作、とりわけ水稲の耕作が定着し、安定して米が収穫できるようになってからのことである。中国大陸揚子江流域に紀元前4800年ごろ稲作が始まり、ここで造られた米酒が日本に輸出されたのが日本酒の起源とする。また、『魏志倭人伝』によると、日本に酒が存在することを示す最古の記録は、3世紀に成立した『三国志』東夷伝倭人条(いわゆる魏志倭人伝)の記述に見られる。同書は倭人のことを「人性嗜酒(さけをたしなむ)」と評しており、喪に当たっては弔問客が「歌舞飲酒」をする風習があることも述べている。

1.3 中国お酒と醸造技術が日本への伝播

「古事記」の記載によると、日本古代の手工業生産技術の多くが、渡来人たちによって朝鮮半島からもたらされ、また渡来人たちによって国内に普及された。これらの渡来文化のなかに、酒造技術もあった。また、縄文中期まで、貝や魚、鳥獣肉と雑穀を食べていた日本に、中国?揚子江下流域から北九州福岡県の板付や、佐賀県の菜畑に稲作が伝えられたのは縄文後期のことだと記述されている。「戦国策」によると、2000年前 秦の始皇帝の秦の家族の子孫は先進技術などの酒を持って、江蘇省、浙江米や原材料の稲の栽培技術の近くに醸造技術を日本に広めるために日本へ渡った。中国?揚子江下流域から北九州福岡県の板付や、佐賀県の菜畑に稲作が伝えられた日本は、稲の実?米を主食として定着すると、人びとはご飯からも酒を造ることを試みたと具体的に記述されている。

歴史資料に基づいて見ると、日本酒の起源は中国の酒であり、中国お酒と醸造技術が日本への伝播したのだ。しかし、中国の醸造技術とお酒文化が日本へ伝播する過程で、社会環境や自然環境によって、各酒文化から反映した国民性とか読み方とかマナーには、微妙な差異がある。各国経済の発展にしたがって、酒の種類も多くなり、飲み方にもいろんなルールとか、マナーがあり、宴席における「乾杯」文化にもそれぞれの相違点が存在している。

二、中日酒文化の相違点

2.1 酒の種類

中国の酒は大きくいって白酒と老酒に分かれる。色で分類するのはいかにも即物的だが、「白」は白色ではなく無色透明の意で蒸留酒のことだ。有名なものには「マオタイ酒」

(53度)をはじめ「五粮液」(60度)「汾酒」(50~60度)などが有名だ。

黄酒は醸造酒でコハクいろからきた名前で、老酒とも言い、よく熟成したという意味から来たものだ。なんといっても紹興酒(13~18度)が有名で、地域的には長江以南が多いである。「白酒」は高梁(コウリャン)?とうもろこし?キビ?米?麦など多彩な原料からつくられる蒸留酒である。アルコール度数は 30ー60度で、代表的なものとして、茅台酒、汾酒、老窖酒などがある。「ビール」は代表的なものに、青島ビール、燕京ビール、金士百ビールなどがある。「果酒」は葡萄酒やりんご酒など果実を原料として造る醸造酒と、白酒をベースに果汁を配合してつくるお酒の総称である。全体的に味わいが濃厚で甘口であることが大きな特徴である。「薬酒」はもとは不老長寿を願って、白酒、黄酒、果酒に漢方の薬材 などを漬け込んで作られたもので、氷砂糖を加えた甘口のものもある。

日本の主な酒には醸造酒?蒸留酒?混成酒に分けられる。

醸造酒は単発酵酒と複発酵酒に分けられ、複発酵酒は単行複発酵酒と並行複発酵酒に分けられる。単発酵酒は原料中に糖分が含まれており、直接発酵するものである。複発酵酒は穀物などデンプン質のものを原料とし、糖化の過程があるものである。

単行複発酵酒は糖化の過程が終わってからアルコール発酵が行われるものである。たとえば、ビール、発泡酒などがある。並行複発酵酒は糖化とアルコール発酵が同時に行われるものである。清酒などがある。

蒸留酒は醸造酒を蒸留し、アルコール分を高めた酒である。例えば、ウイスキー、ラム、テキーラ、ウォッカ、白酒などがある。混成酒は酒(蒸留酒が主に使われる)に他の原料の香り?味をつけ、糖分や色素を加えて造った酒である。たとえば、果実酒、ロゼワイン、黄酒、合成清酒などがある。

2.2 国民性

日本人と中国人は、共に、稲作や畑作を主にする農耕民族である。その点、一カ所に定着して動かないのを好むとか、集団?団体行動を好むとか、相互の一体感、心理的結合、人情を重んじ、縁故を重視し、ジメジメ、ベタベタしたウェットで女性的、母性的性格を持つ点では共通しているように、国民性が同一である部分もあるし、違っている部分も多くある。具体的に例をあげると、自分の属する内集団、すなわち親密感、一体感を持てる「ウチ」と見なす範囲がどこまでか、についてが大きく異なる。中国人の場合、「ウチ」の範囲は、千年以上にわたって続いてきた父系血縁集団の系譜内に限定される。同じ姓を持ち、同じ血縁集団の中に含まれている相手との間は、温かく、親密な身内の関係になる一方で、父系の同一血縁に属さない他者は、大体「ヨソ者」である。しかし、日本人は集団主義が強くて、父系血縁集団の系譜内に限定される。同じ姓を持ち、同じ血縁集団の中に含まれていなくても、親密な身内の関係になり、いつも集団のために頑張る意識を持っている。この部分を取り出すと、中国人は、個人主義者に見えるが、実

際は、強い帰属意識を持つことだ。

国民性について大まかに言えば、日本人は、よく相手の気持ちや立場を察して、それも考慮に入れて、発言したり、行動したりする傾向が強い。それより、中国人は、少し自分の意志を相手にぶつけて強く自己主張するようである。宴席でお酒を飲む場合も中国人の言う「乾杯」は、必ず杯に注がれた酒を一息に飲み干さなければならないが、日本人のいう「乾杯」とは基本的に異なる。「乾杯」とは言うが、必ずしも杯の酒を飲み干す意味ではなくて、「お好きなだけ」ということだ。

日本では和の精神が強い。自分の意見や気持ちを相手に伝えたり、行動したりする時、日本人は相手の気持ちや立場を考慮しようとする。日本人は、集団の中で、「和」を重んじ、他人との摩擦を避けよとする傾向が強い。そして、酒を飲む時、彼らは一般に静かで、他人の邪魔をしない。酒は、人間関係を潤滑できて、儀礼表現の媒介である。が、国民性によって、義理表現は、日本人は、もっと含蓄であるが、中国のほうは、ずっと直接である。

2.3 適量と過量

「乾杯」という言葉は、中日両国はよく使われる。しかし、中国人が言う「乾杯」は、必ず杯に注がれた酒を一息に飲み干さなければならない。これは、日本人が言う「乾杯」とは基本的に異なる。日本では、「乾杯」とは言うが、必ずしも杯の酒を飲み干す意味ではない。「お好きなだけ」ということのようである。また、中国には相手に酒を勧めるという習慣がある。宴会の席では、友達の間や主客の間において、お互いに「もう一杯どうぞ」と酒を勧め合う。このような習慣によって、相手に対する自分の思いやりと友情の気持ちなどを表現したり、伝えたりする。

でも 日本では、無理に勧めることをしなくて、人々それぞれ自分の「酒の量にあわせて」、酒を飲むことが多い。つまり、中国人は、酒を飲む時には「過量」にたしなみ、日本人は「適量」をたしなむと言うことだ。このような酒文化の習慣の違いは、まさに日本、中国のそれぞれの国民性をよく反映していて、「過量」は、中国人の持つ豪快で、直接的且つ素直な性格を、「適量」は、日本人の持つ婉曲で、一歩下がって他人を考え常に和を好むという性格もよく表わしている。

2.4 酒の飲み方とマナー

中日の文化や思想が違うので、両国の飲み方や飲む礼儀も違うである。「礼記」には、「酒を以って礼をなす」と述べている。つまり、酒は礼の表現形式の一つだということだ。具体的例を挙げて見ると、

1.「マイ?ペースで飲んではいけない」というタブー

飲む場合には必ず誰かと乾杯をしなければならない。目と目を見交わせながら飲むのが中国流の宴会の基本である。日本人の乾杯は宴会の始まるときだけで、後は皆自分勝手

篇二:中日商务礼仪的比较

中日商务礼仪的比较

商务谈判是指有关方为了各自的利益,通过接触与磋商,就某些性质的问题达成协议或者妥协。谈判是一个复杂的搜集处理信息,彼此交换意见和努力达成共识的活动过程,也是一个斗智斗谋的竞智活动。见面,问好,报价,查询,磋商,解决矛盾,处理冷场等每一个环节都不能忽视利在商务谈判中非常重要的商务礼仪,才能最大可能的达到双赢的结果。

商务礼仪的核心作用是为了体现人与人之间的相互尊重。由于不同国家间文化传统的差异,世界上各个国家间的商务礼仪文化也是既有其国际性,又有其民族性。全球经济一体化使文化背景不同的各国企业走到一起,而往往由于商务礼仪的细微之差,有的企业取得了巨大的成功,有的却一败涂地。因此,在与他国企业进行商务活动之前,就必须了解跨国商务礼仪的差异,每一个国家的文化不同,背景不同,历史不同,导致了商务礼仪的不同,在这里我从中国和日本的对比来浅析中日商务礼仪的不同之处。

一、 中国的主要商务礼仪

商务谈判多是商业客户关于商业活动的往来,比如关于销售合同的制定,比如关于相互协作的安排,比如关于商业买卖等。

(一)中国式商务谈判的第一个特点:功夫在诗外,学习做诗,不能就诗学诗,而应把工夫下在掌握渊博的知识,参加社会实践上。商务谈判,不仅仅是商务谈判,还融合了人情与生活。中国人谈生意,开场的时候,不会立刻进行谈判,而多是相互寒暄一下,询问一下对方是哪里人,在哪里居住,有什么经历等等。往往现在人情世故上找共同点,拉近双方之间的距离。特别是老乡、亲属、校友、战友这几个关系是最能影响到双方心理距离的因素。

例如:杭州一家外贸企业与一个客户谈一桩棉涤纶布的业务,双方在价格上不肯松口,相持不下,就这样持续了两个月左右,这家外贸企业想怎么谈都谈不下来,双方处于胶着状态。后来,这家外贸企业的业务员了解到该客户刚刚喜得贵子,于是,就备了份礼物送给客户,该客户十分高兴,当场表示愿意合作。从这个案例中可以得知,中国式商务谈判之中,不是简简单单商业往来,或许掺杂着人情世故、家庭生活等。

(二)中国的酒文化源远流长,也深深地影响了国内的商业活动,也在我们每一个人的商业行为中打下了深深地烙印。比如我们在与对方谈判相持不下的时候,我们往往会说:这样吧,我们将这个问题放下,先去吃饭,现在已经十二点了。

曾经在电影《戒烟不戒酒》中,有这样一个场景,刘德利操办了一场传说中的“航空母舰”,汇集了国内外五十种名酒。刘德利提出了这样一个条件:出500万元如何严保久的广告公司。严保久每喝一杯酒,刘德利让五万元。喝完50杯酒,刘德利让250万元股份给严保久。其实这个场景就恰恰符合了中国式谈判的第二个特点:酒场即商场。

酒场是中国较为特有的商务接待之地,因此,酒场的学问也成了生意的学问,谁该做什么位置,谁应该先动筷子,应该向谁敬酒等等,都是一门学问。不仅仅是酒场,还有咖啡馆,茶楼,麻将场,KTV都是商务谈判的场所。

有一个工业品销售公司,与一家客户谈判。先是在公司附近的咖啡馆,中午去一家饭店吃饭,从中午12点喝到了晚上6点,接着去茶楼饮茶,最后还去KTV唱歌,快到深夜12点才算结束,生意最后谈成了。

(三) 有时候,我问问领导可以成为谈判的一种技巧,有时候,我问问领导确确实实在发生。

比如说国内商务谈判,明显地会感觉到拖沓。因为,很多时候都要向领导汇报,要向领导请示,拿到了领导的口谕或者手谕之后才进一步谈判。而对于西方商务谈判来说,他们会绝对中国人为什么会如此麻烦,做生意请示来请示去的。因为对于外商来说,他们负责这单生意,他们有全力决定他们的选择。而国内不同,在谈判前,领导不会给你明确的指示,而在谈判中,谈判人员不得不说:我问问领导。

其实,究其原因,在于领导的谈判底线是在不断地变化,领导需要根据现场的情况,对方的反应做抉择,而这些需要谈判者不间断的反馈意见,从而造成中国人商务谈判需要多次谈判才能达成一致。

二、 日本的主要商务礼仪

日本人列出问题的方式类似于中国旧叙事诗的三段式:情景介绍――详细描写――道出主旨,只有经过很长时间说明,才说出自己的目的。其次是提出问题的次数,日本人会不断地重复问问题,甚至许多人会问同一个问题,通常让我们发怒,“难道他们不相信我的话。”其实这与日本人集体决定有关,我们要有耐心并准备足够信息,但也要适时地控制他们的提问。

要真正了解需要建立非正式的交流渠道,而这种非正式的交流渠道须由较低级行政人员去完成,这也是谈判团里要有低级行政人员的原因之一。这里有一个例子说明非正式交流的重要。一家美国大公司寻求和一家日本小公司合作,谈判在主管人员之间没有取得结果,虽然日方主管在许多方面表现出兴趣,但似乎仍犹豫不决,美方决定采取“等一看”的战略。但6个月后什么也没发生,过后,美方公司的低层行政人员受到日方低层行政人员的邀请,一杯茶后,日方解释了推迟的原因,“我有一些事要告诉你,但我的老板却不便对你的老板讲”,他讲出了价格和公司更名的问题,其实,如早提出,问题早就解决,但是日方认为在谈判桌上向一个高地位的买者提出反对是不合适的。

三、见面礼仪的比较

在交往中,见面时行一个标准的见面礼,会给对方留下深刻而又美好的印象,是直接体现出施礼者良好的修养的需要。作为四大文明古国之一,中国的见面礼仪可分为握手礼、鞠躬礼、致意。握手礼:握手是一种沟通思想、交流感情、增进友谊的重要方式。与他人握手时,目光注视对方,微笑致意,不可心不在焉、左顾右盼,不可戴帽子和手套与人握手。在正常情况下,握手的时间不宜超过3秒,必须站立握手,以示对他人的尊重、礼貌。握手也讲究一定的顺序:一般讲究“尊者决定”,即待女士、长辈、已婚者、职位高者伸出手来之后,男士、晚辈、未婚者、职位低者方可伸出手去呼应。若一个人要与许多人握手,那么有礼貌的顺序是:先长辈后晚辈,先主人后客人,先上级后下级,先女士后男士。鞠躬礼:鞠躬,意即弯身行礼,是对他人敬佩的一种礼节方式。鞠躬前双眼礼貌地注视对方,以表尊重的诚意。鞠躬时必须立正、脱帽,

郑重,嘴里不能吃任何东西,或是边鞠躬边说与行礼无关的话。致意:致意是一种不出声的问候礼节,常用于相识的人在社交场合打招呼。在社交场合里,人们往往采用招手致意、欠身致意、脱帽致意等形式来表达友善之意。日本人平时见面要互相问候,行鞠躬礼, 15度是一般礼节, 30度为普通礼节, 45度是最尊敬的礼节。如果是熟人或老朋友,可以主动握手或拥抱。初次见面要行90度鞠躬礼,男士双手垂下贴腿鞠躬,女士将左手压在右手放在小腹前鞠躬,并口念“初次见面,请多关照”。同时日本人对名称和头衔也很讲究,他们喜欢称呼对方头衔而不直呼其名。

四、谈判中礼仪的比较

商务谈判是交易双方为了各自的目的就一项涉及双方利益的标的物进行洽商,最终解决争议、达成协议、签订合同的过程。促使商务谈判成功的因素很多,但礼仪在谈判中的效应占有十分重要的位置。在谈判中以礼待人,不仅体现着自身的教养与素质,而且还会对谈判对手的思想、情感产生一定程度的影响。中国的谈判礼仪可分为谈判准备、谈判初、谈判中、签约礼仪四大部分。谈判准备:商务谈判之前首先要确定谈判人员,与对方谈判代表的身份、职务要相当。谈判代表要有良好的综合素质,谈判前应整理好自己的仪容仪表,穿着要整洁正式、庄重。男士应刮净胡须,穿西服必须打领带。女士穿着不宜太性感,不宜穿细高跟鞋,应化淡妆。布置好谈判会场,采用长方形或椭圆形的谈判桌,门右手座位或对面座位为尊,应让给客方。谈判前应对谈判主题、内容、议程作好充分准备,制定好计划、目标及谈判策略。谈判初:谈判双方接触的第一印象十分重要,言谈举止要尽可能创造出友好、轻松的良好谈判气氛。作自我介绍时要自然大方,不可露傲慢之意。被介绍到的人应起立一下微笑示意,可以礼貌地道:“幸会”、“请多关照”之类。询问对方要客气,如“请教尊姓大名”等。如有名片,要双手接递。介绍完毕,可选择双方共同感兴趣的话题进行交谈。稍作寒暄,以沟通感情,创造温和气氛。谈判之初的姿态动作也对把握谈判气氛起着重大作用,应目光注视对方时,目光应停留于对方双眼至前额的三角区域正方,这样使对方感到被关注,觉得你诚恳严肃。手心冲上比冲下好,手势自然,不宜乱打手势,以免造成轻浮之感。切忌双臂在胸前交叉,那样显得十分傲慢无礼。谈判之初的重要任务是摸清对方的底细,因此要认真听对方谈话,细心观察对方举止表情,并适当给予回应,这样既可了解对方意图,又可表现出尊重与礼貌。谈判中:这是谈判的实质性阶段,主要是报价、查询、磋商、解决矛盾、处理冷场。报价:要明确无误,恪守信用,不欺蒙对方。在谈判中报价不得变换不定,对方一旦接受价格,即不再更改。查询:事先要准备好有关问题,选择气氛和谐时提出,态度要开诚布公。切忌气氛比较冷淡或紧张时查询,言辞不可过激或追问不休,以免引起对方反感甚至恼怒。但对原则性问题应当力争不让。对方回答查问时不宜随意打断,答完时要向解答者表示谢意。磋商:讨价还价事关双方利益,容易因情急而失礼,因此更要注意保持风度,应心平气和,求大同,容许存小异。发言措词应文明礼貌。解决矛盾要就事论事,保持耐心、冷静,不可因发生矛盾就怒气冲冲,甚至进行人身攻击或侮辱对方。处理冷场:此时主方要灵活处理,可以暂时转移话题,稍作松弛。如果确实已无话可说,则应当机立断,暂时中止谈判,稍作休息后再重新进行。主方要主动提出话题,不要让冷场持续过长。签约:签约仪式上,双方参加谈判的全体人员都要出席,共同进入会场,相互致意握手,一起入座。双方都应设有助签人员,分立在各自一方代表签约人外侧,其余人排列站立在各自一方代表身后。助签人员要协助签字人员打开文本,用手指明签字位置。双方代表各在己方的文本上签字,然后由助签人员互相交换,代表再在对方文本上签字。签字完毕后,双方应同时起立,交换文本,并相互握手,祝贺合作成功。其他随行人员则应该以热烈的掌声表示喜悦和祝贺。

篇三:中日礼仪风俗差异之我见

中日礼仪风俗差异之我见

摘要:中国和日本是一衣带水的邻国,日本在吸收了中国文化的基础上逐渐发展了自己独特的语言和特有的文化。反映中日文化差异最突出之处,就是礼仪和风俗的差异:例如在中国特别是男士,很多场合下是通过握手来表达问候;而日本人之间问候,鞠躬是最基本的礼节。这主要是由于中日两国的生活习惯和社会历史文化背景不同所造成的,如果缺乏对此类因文化差异而产生的礼仪风俗的了解,就有可能引起误解甚至摩擦。为了尽可能避免由于文化差异的不同使不愉快发生,本文就具体介绍了他们的不同之处。

关键词:文化差异 礼仪文化 风俗习惯

对于日本这个国家,他与中国有着两千多年的历史渊源,日本的许多文化习俗似乎都与中国有着千丝万缕的联系,但同时中日之间也存在着泾渭分明的差别。

接下来就来给大家介绍一下其礼仪风俗方面与我国的一些差异。中日两国都被誉为“礼仪之邦”,《论语》中很早就有“非礼莫视,非礼莫听,非礼莫动”的古训。在中国是特别是男士,很多场合下是通过握手来表达问候。与人初次见面,熟人久别重逢,告辞或送行均以握手表示自己的善意,因为这是最常见的一种见面礼、告别礼。有时在一些特殊场合,如向人表示祝贺、感谢或慰问时;双方交谈中出现了令人满意的共同点时;或双方原先的矛盾出现了某种良好的转机或彻底和解时习惯上也以握手为礼。

而日本人之间问候是,鞠躬是最基本的礼节。鞠躬也有很深的学问,地位低的人首先鞠躬,而且鞠得最深。鞠躬鞠得愈深,鞠得愈久,所表示的尊敬、感谢、诚恳、敬意、谦恭、悔悟等等的程度就愈强烈。日常使用的鞠躬(约15度,两手垂在身旁),用于一切不拘礼节的场合和各阶层的人之间。社交活动时鞠躬(30度),两手放于膝上,并且频频弯腰。

日本人初次见面对互换名片极为重视。初次见面不带名片,不仅失礼而且对方会认为你不好交往。互赠名片时,要先行鞠躬礼,并双手递接名片。通常是地位、年龄低的人先递名片。

到日本人家里作客或到公司拜访客人,要预先约定时间。敲门或者按门铃时要说“ごめんください”(主人在家吗?/我可以进来吗?)。进门后要在玄关的地方脱掉鞋子,把鞋子放好,鞋脚尖要向外摆好;并且说“お邪魔します”、“失礼します”(打搅您了)。去公司拜访的时候要说“お忙しいところを、お邪魔いたします”(在您百忙当中打搅了)。

在日本,互相赠送礼品也是一个十分重要的交际礼仪。日本人无论是访亲问友或是出席宴会都要带去礼品,一个家庭每月要花费7.5%的收入用于送礼。到日本人家去作客必须带上礼品。日本人认为送一件礼物,要比说一声“谢谢”的意义大得多,因为它把感激之情用实际行动表达出来了。中国人的礼文化更是源远流长。而现在的社会更是无礼不行的,不管是人际交往还是商业之间的合作,都是离不开送礼。中国人送礼讲究礼轻情意重,喜欢将送礼的态度及言谈举止做到最好以打动人们的心意。

中国人送礼成双,喜欢2、6、8、9等数字。日本人送礼一般是奇数;通常用1、3、5、7等;日本人很忌讳“9”“く”(ku),“4”“し”(si),因为在日语中“ku”(9)与“苦”同音;“し”(4)与“死”同音。按日本习俗,向个人赠礼须在

私下进行,不宜当众送出。日本人禁忌绿色,礼物忌送手帕、梳子、荷花等;探病的时候不能送带根的植物。因为日语的“ね”(根),跟“睡”同音,有卧床不起的寓意。

中国人也注重礼仪规范,在正式场合也要正装,要求并不太严格。而日本人非常注重礼仪和服装。不同的场合要求不同的服装。特别是男性,必须穿一套正规的西装。在日本有一个很有趣的现象是,参加婚礼和葬礼的时候,男性都是穿一套的黑西装。怎样分辨才知道是参加婚礼还是葬礼呢?要从男士所佩戴的领带来区分。参加葬礼的都必须系黑色的领带;参加的婚礼的就会系一个蝴蝶结领带,或其他颜色的领带。

饮食礼仪是各民族礼仪文化中的一个重要组成部分。中国的饮食礼仪,由于地域辽阔,饮食礼仪繁多且各不相同,但大部分还是通用的。比如用餐时主人长辈先食,不伏碗吃饭,不举碗喝汤,不用筷子搅拌热汤,不伏汤而饮。任何餐具反扣的行为被视为不礼貌。在中国,吃饭或者喝汤的时候是不能发出声响的,但是在日本,发出声响不仅不忌讳反而欢迎。因这种行为往往被认为是用膳者对饭菜的赞美或吃得香甜的表现。受款待的时候,在中国要稍微剩下一点饭菜。这个是“我吃饱了”的意思。但是在日本这个则是“这个不好吃”、“我不喜欢吃这个”的意思。

日本是与我们一衣带水的“邻邦”,自古以来, 日本的文化就深受中国的影响。日本的诸多礼仪都与中国许多相同之处,但是又存在很大差异。这些差异的形成主要还是源于两国文化传统差异。中国的礼仪主要来自儒家思想。儒家学派对于中国的政治、经济等各个方面存在着巨大影响。儒家思想的精髓在于它的社会伦理思想,正是封建社会伦理观从国家统治阶级的高度期望出发,将人们现实生活中的行为规范用通俗的语言——道德意识规范起来。形成了中国传承了几千年的礼仪道德体系。中国的“礼”的本质更在于实现一种非法律维持的社会组织方式。

日本人的礼仪文化中强调和,主张人人安守本分。这种思想的本质与中国儒家思想是相一致的。但是中国人讲客观事实,所以用客观来讲,日本人更注重含蓄和考虑他人的感受,所以大多用设问句疑问句委婉表达,这些都是中日之间表达的差别。

现今,中国的经济在高速发展,国际地位的不断上升和国际合作的广泛进展,中日关系越发重要,且将对中国的发展产生重大影响。在这种背景下,作为中国当代大学生,社会主义建设的接班人,尤其是管理专业的学生,在学习外国文化的同时,有必要更深入地了解一下日本文化,那么,对我们将来更好的熟悉和管理国家发展情况大有裨益。

标签:中日 礼仪 中日礼仪差异 中日餐桌礼仪